Football Connection 

笑う門には福来る。

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あれから何があったのか

これを全然かけていないのはなぜだろう。理由などない。

NEXUS7を買ったからさ。という簡単な理由。

会社でもPCをいじって、家に帰っても同じスタイルで触りたくない。

立ち上がるのも待つし、タブレットだとソファーに寝ながらの快適ネットサーフィン。

タブレットが売れるのはよく分かるぞ。テレビすらほこりをかぶっている。

見るのは子供の仮面ライダーと戦隊者くらい。

なので見ていないのでTV批判も浮かばない。

最近忙しい。新幹線もほぼ満席に近い。

リーマンショックの直後は「新幹線に乗るなんて」っていうくらいすいていた。

本当にガラガラ。ストップしていた。

それはそれで快適であったが。

ケチにも疲れ果て、お金は人生を充実させるために使うのだと、倹約だけではこの人生乗り切れないと変信。

自販機でコーヒーとかもほとんどのまず、30年我慢したらいくらになるのかと計算したりしていた。

しかし、ストレスであろう原因でダウン。

ちゃんと自分の心と身体の健康のためにこの身体と頭で稼いだ分から使うのは良いことだろうと、堅苦しくコーヒーを飲む。

世界一のお金持ちにはなれないし、なる必要もないけれど、世界一自分の人生を楽しんでいる人間にはなりたい。

たった一度の人生。他の誰でもない私の人生。どこかの誰かより楽しんでいないなんて納得できない。

私は私の価値観において、私こそが世界でいちばん自分の人生を楽しんでおりますと胸を張って言えるように積極的に”遊んで”行きたい。

おもしろき ことのない世を おもしろく すみなしものは 心なりけり

■素人■


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  1. 2013/09/25(水) 23:15:15|
  2. 環境保全(流域保全と脱原発)
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水俣病と福島原発被害の類似点

以前紹介しました宇井純氏著の「日本の水はよみがえるのか」第6章に水俣からの教訓というセクションがありますので、こちらから引用しながら福島原発事故に見る国や企業の対応の類似点を見出して生きたいと思います。

p126 日本を代表した化学工場
長い間、チッソ水俣工場は私達東京大学応用化学科の学生にとってあこがれの工場であった。東大からは応化で一番を証明する主任教授の推薦状を持った学生しか入社試験を受けられないことは有名だった。・・・東大工学部卒の技術者が創立し、独自に開発した技術で一流企業にまでのし上がり、今でも技術者が社長になれる会社として、私達の中では最高の評価を受けた会社である。
 1908年東大工学部を出てすぐに、大学で研究した電気炉を使って、石灰石とコークスからカルシウムカーバイドを造ることに成功した野口遵は、南九州の川内川の曽木の滝を見て、これを水力発電に利用することを考えた。はじめは近くの大口金山に電力を売ることが目的だったが、余った電力で化学工場を作ろうとして、ちょうど地域振興のために工場を誘致しようとした水俣の有力者達と意見が一致し、日本窒素水俣工場が発足した。はじめは製品が売れなくて苦労したが、第一次大戦で化学製品の輸入が止まると大変な儲けになり、その勢いで空中窒素の固定による合成肥料、火薬、有機合成と日本で最初の製品を次々に工業化し、日本の化学工業の先頭に立つ工場になった。
 特に、1932年からはじめた、アセチレンに水を付加させてアセトアルデヒドをつくり、酢酸から酢酸繊維素を合成繊維としてつくる一方、アセトアルデヒドを二つつないでブチルアルデヒドからブタノールとし、酢酸からつくったアセトンと混合すると、ガソリンに近い燃料がつくれる。飛行機を飛ばすのに必要な人造ガソリンは、石油のない日本にとって、火薬と並んで重要な軍需物資になり、日本の軍部にとっても日本窒素は重要な工場だった。

戦後の復興
こうして軍と結びついて新興財閥となった日本窒素は、カーバイドアセチレンから塩化ビニル樹脂を戦前に作るほどの技術力を持っていた。第二次大戦の敗戦後、植民地の工場を全て失い、財閥解体の指定を受けて、戦災で破壊された水俣工場だけが残ったが、この技術力で不死鳥の如く立ち上がり、名称を新日本窒素に改めて、化学肥料、塩化ビニル樹脂、特にその可塑剤としてのDOPジオクチルフタレートの市場独占のおかげで業績は好調だった。アセチレンから作ったアセトアルデヒドを二つつないでブチルアルデヒドとし、これをもう一度二つつないでオクチルアルコールを作るという、複雑な工程を経てつくるDOPは他社のついづいを許さず、、この会社の独壇場であった。
 この生産の要になるアセトアルデヒドの工程の増設は相次ぎ、生産は天井知らずというありさまだった。この工程と、並行して好況だった塩化ビニル樹脂の合成工程の両方で、大量の水銀が触媒として使われていた。

・・(病気の発生について)
p131 激しい反論
1959年7月になってようやく、病気の原因として水銀が見つかると、工場は猛烈な反論を開始した。東京工業大学の清浦雷作教授がその先頭に立ったが、その背後には東大医学部の田宮猛雄教授、勝沼春雄教授らの策動があった。
そのために1959年11月の厚生省の中間答申では、ほぼ原因が判明しながら、発生源については特定せず研究班が解散させられてしまった。長い間漁業がまったく出来なかった漁民は補償を要求して工場に押しかけ、工場の強硬な態度に2000人の漁民が工場に乱入するという事件を起こした。

・・・こうして水俣病の原因は不明とされてしまったが、熊大の一部と工場付属病院では原因の研究が続けられた。日本政府の研究費が事実上打ち切られた熊大は、米国の公衆衛生院NIHの研究費支援を受け、しまい忘れていた工場のアセトアルデヒド工程の触媒液から猛毒のメチル水銀を抽出する一方、アセチレンの加水反応にともなって触媒の無機水銀がわずかずつメチル化する事実を突き止めた。

・・・(行政と企業の暗躍でもみ消される事実の記述)

p144 水俣病の全体像
水俣病の全体像を調べようとすれば、何回も機会はあったし、被害者も何回もそれを要求したが、行政は色々な口実をつけて一度も実行しなかった。1956年に病気が見つかったとき、59年に水銀が見つかり、患者が不知火海の広い範囲に広がり始めたとき、68年に政府が水俣病を公害と認めたとき、73年第一次訴訟で原告被害者が勝訴したとき、その年に第3水俣病が発見されたとき、83年日本環境会議が全般的な調査を提案したとき、いずれも行政は問題を調べる動きを見せなかった。調べないのだから全体像が見えてくるはずがない。その中での行政の責任も、調べないものはわかるはずがない。
 ・・・1988年には、WHOの化学物質安全計画がつくったメチル水銀環境基準の原案に対して、これが厳しすぎると環境庁が判断して、反論のための研究者組織を秘密の内に作ったことがった。元来この基準案は世界中の水銀研究者に公開で意見をたずねるために配布されたものであったが、環境庁はこの原案の存在すら秘密にした。1989年に提出された報告書では、研究者組織に参加したものの名前は真っ黒に塗りつぶされていた。環境庁はこのように不利な情報のもみ消しと、御用学者の組織化を先頭に立って行っていたのであった。
 こうして問題の全体像を調べようとしないままに政治決着を急ぎ、被害者の大部分がそれを受け入れることを余儀なくされたのも、長く放置されていたためである。時間の経過と共に、被害者は老齢化し、あるいは死亡する者も多く、生きている間に何らかの救済の進展がなければ、被害者に対してあまりにも冷酷な結果になるだろう。だからこそ裁判所も控訴の可能性のある判決を避けて、和解を勧告したのであろう。

=========
長文になりましたが、このようなことでして原発においてもそうですがこの国の行政官の心は大企業に寄り添っている。それに政治家もかねほしさに群るのだから、当時の一般国民で問題を公にするだけでも血の滲む苦労があった。
象徴的なのは原因を追求しようとする熊大医学部への研究費を日本国が打ち切ったのに対して、応援してくれたのがアメリカであった点。
自国民の健康と人権を守るべき国家が、見捨てたのである。そしてそれに対抗したのがアメリカであった。
このDNAはこの日本にまだ息づいており、ミドリ十字によるHIVの拡大なども国家が、政府がいかに国民を粗雑に扱っているかが克明になった事例である。
そして、今、原発で被爆しながら生活している福島の方々を全面非難させることはせず、故郷への愛着につけ込んで故郷に帰らせようとしている。
原発推進を裏付けてきたのは東大工学部。ひも付きのニセ第3者委員会。それらの審議により行政は動く、政治家も動く、全てストーリーどおり。東電は当然解体すべきだけれど、東大も解体したらどうだろう。
優秀な研究者や学生がもっと集まるように、優遇されるようにハーバードやオックスフォード、MITなどに負けぬよう真の最高学府としてまっさらなところに作り上げる。まぁこれはちょっと横道。

つまるところ、国民の犠牲はあまり気にせず、犠牲が出ても時間をかけて表情は真剣だがのらりくらりと対応し、被害者が死ぬのをまつ。国家の寿命は一個人と比べて長い。
おそらく、北朝鮮の拉致被害者についてもそのように考えている。高齢の被害者家族が死に、問題が風化するのを待っている。我らの国家とは政府とはそういう残酷な集団という一面がある。

解決の手段としては行政官や第3者委員の個人としての責任を明確に問うことではないだろうか。
福島第一を野放しにした保安院や安全委員会の斑目春樹なんていうのは、厳罰にあたいするし、その責任において業務上過失致死が適用されるべきではないだろうか。現に津波の被害可能性が訴えられてきていたのに、企業側に有利に判断してきたのだから。
保安院を解体したのはまさしく責任の所在を霧に隠すがごときであり、ずるがしこい連中の考えそうなことだ。
ずるいヤツラは我々一般国民が監視し、指導していかなければならない。
小さな声をドンドン、うるさいほど届けていかないと、彼らの背筋が丸くなる。

■素人■
  1. 2012/12/02(日) 11:31:52|
  2. 環境保全(流域保全と脱原発)
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メガソーラーと土壌汚染

当社でもメガソーラーを手掛けていますが、土壌汚染にも片足を突っ込んでいます。

この土壌汚染とメガソーラーは実は切っても切れない関係なのではと、気づいてしまいました。

日本でも1000人くらいしか気づいていないのでは。なーんて。

遊休土地を有する大手企業はその土地で何をしていたのか?

化学会社は、石油会社は、機械メーカーは、その土地を以前は工場として使用していた。

遊休土地の利活用を何とか達成したいが、いかんせん負の遺産である土壌汚染が残っている様子。

調査はしてみたいが、やったらやったで出るだろう。そしたら、当然対策だ。

おおっぴらにはしたくない、かといって売買も含めた土地の活用はしたい。

土壌浄化の見積もりはとったが、目の球が9割飛び出た。

どうしよう。どうしよう。

そうだ。メガソーラーだ。!

これなら土地を掘削しないから形質変更にならないし、保有も自社で引き続きできる。

健康被害が周辺に出ていないようだし、第三者も入ってこないから対策もしなくてよいだろう。

水没しちゃまずいから盛土はしておこう。これで表層汚染も飛散しないから一石二鳥。

さらに結構な利益を生むというじゃないか。環境への取り組みも大きな社会的価値、メリットがある。

これは結構だ。結構なことだ。

よしやれやれ。

というわけでメガソーラーの下には土壌汚染が潜んでいるかもしれません。

そうすると、FITが終わる20年後に再度、土壌汚染ビジネスが息を吹き返すかも??

■素人■
  1. 2012/11/08(木) 21:10:49|
  2. 環境保全(流域保全と脱原発)
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湿原を守ろう

私が保護したい自然の代表格が湿原。

あれほどの生物多様性は湿原ならではではなかろうか。(このへん知識が薄いのがモロばれで情けない)

それと感覚的なことだけれど、「湿原って怖い」からスゴイ。

尾瀬の湿原でもちょっと足を踏み入れる気にならない。何か得体の知れない怪獣に足を噛み砕かれそう。

日本の湿原でこうだから、アマゾンの湿原なんて近づきたくもない。よっぽど頑丈な船で無いと、ブラジル人手作りの木船なんかには絶対乗らない。乗っても毎秒祈っているだろう。

うまく言えば自然への畏怖の念を抱かせてくれるのが”湿原”。

水鳥の生息地としての保護が主体であるラムサール条約。

ラムサールというのは、条約が締結されたイランの都市の名だそうだ。

ラムサール市

やはりこうやってoutputすることで知識が定着する。

読書や視聴などのinputだけでは脳と精神の最適なバランスは保てない。

おそらくinputが少なくoutputだけを続けていても進んでいない焦燥感に駆られることと思う。

そんなラムサール条約にも登録されている尾瀬。

尾瀬について

尾瀬はいわずと知れた東電所有地が多い。

東京電力は、尾瀬国立公園全体の約4割、特別保護地区の約7割の土地を所有しています。

NHKの尾瀬特集内で尾瀬の積雪の下部に鉄で呼吸をする微生物の生息が明らかになったことを放映しておりました。

豪雨で濁った湿原が徐々に透明度を増していく状況も映し出されていました。

こういうことは現状テレビを通してしか私は見れない。

東電は自然を守るというメッセージはズタボロだが、尾瀬を国が買うことはしないのだろうか。

ということで尾瀬と東電の関係を調べてみたら・・・何のこっちゃない。

昔東電の前身企業のひとつが尾瀬をぶっ壊して水力発電をしようとしたけど、戦争や保護運動のために土地は買ったがそのままになったという、まぁそんなもんでしょうという始まりでした。

尾瀬と東電

この尾瀬は乾燥して陸地化し森となるのではなく(遷移)、かといって水ジャブジャブで湖になるでもなく、奇跡的に湿原を保っております。

ちなみに日本のラムサール登録地は37箇所あります。

日本のラムサール条約登録地

琵琶湖もじつは登録されています。そりゃそうか。

久しぶりに平和なブログ。

■素人■
  1. 2012/08/20(月) 22:24:06|
  2. 環境保全(流域保全と脱原発)
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自然とは何か

自然とはどういうものかと考える出来事がありました。

相変わらずの大げさな性格なので、なんだよと言われそうですが。

引越しをしまして、その2週間後に奥さんが就寝中に10cmくらいのムカデに噛まれました。

幸い腫れや熱などはなく、大事には至りませんでした。

引越し先は山の斜面に立てられた階段状のマンションです。

なので虫は多い。

この虫。自然です。

自然を増やそう増やそう。自然が増えるのは良いことだ。都市のど真ん中に自然を。

こういう持論でいましたが、今はトーンが落ちてきました。

人類は自然との闘いの果てに、外敵からの脅威をほとんど克服できる今の都市をつくりました。

人類の脅威である大型の肉食獣も生活圏から排除し、その脅威に怯える人は都会ではほとんどいません。

また、害虫も随分排除しました。湿気や隙間が出来にくいコンクリやアスファルトでは生きていけません。

これはこれで正解だと思います。

夜行性の毒をもったムカデなんかが身近に居るとおちおち眠れません。

毎晩寝る前にベッドをひっくり返して、いないことを確認しないといけません。

こんな毎日を送りながらでは、自然は良いと手放しでは思えません。

手付かずの自然はしっかりと離れた場所でおいておき、生活圏は管理された自然をおかないと安心安全な日常がおくれません。

自然とはやさしい、癒される面だけではなく、恐怖や苦しみ不快さをもたらす面もあり、その両面をみて自然をどうするかを考えねばならないと気づかされました。

都会の人で自然が良いからと、山の中の古民家を買い取って生活することは大量の虫と向き合うことでもあります。

それと向き合えるなら良いですし、ダメであれば向いていません。

山の中の別荘が廃墟になるのは、大量の”自然”に向いていなかったからというのは理由の一つにあると思います。

気持ち悪いですよ。ムカデにヤスデ。思い出しても気味が悪い。

新居の玄関には土の庭が4m2くらいある。前の居住者が5cm角ほどの大型のウッドチップを敷き詰めていた。

そこがヤツラの巣だった。湿気、暗所、狭い空間、餌の小動物。ムカデやヤスデの快適生活4大要素がパーフェクトに再現されていた。

自分達の安全のためにそこを根こそぎ捨ててやった。

出てくるヤツラも殺生しまくった。小さな規模だが、こうして人類は自然からの脅威を遠ざけてきた。

このことは罪ではないと思う。

自然創出と簡単に言っていた自分が恥ずかしい。

せめて自分達にとって都合の悪い生き物も含めて、語るべきであった。

このことからも人類が背筋を正すために自然には畏敬の念を抱くべきだし、かといって無管理状態の自然との共生は大半の人は受け入れられないと思う。

遠すぎず近すぎない適切な距離間が人類と自然には大切で、その答えは私には見えない。

ただ、遠すぎる弊害はよく分かるので近づけるという方向は間違いないと思う。

近けりゃよいというものでもないことを知ったことは良かった。害虫に感謝だ。

安全な生活のためだすまぬ。合掌。

■素人■




  1. 2012/05/06(日) 16:51:14|
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